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お武家の時代 [ひとりごと]

さて、室町幕府を開いた物の衰退していた南朝が復活(どんだけ生命力強いねん)

幕府とは別の所で骨肉の争いを行い、やっと力を持ったと思っていた北朝を

最終的には、明治時代になってようやく南朝が正統だと決められました。

つまり、今の天皇さんは、南朝な訳ですな・・・

さておき、歴史のお話に戻りましょう。

室町時代も、やっぱり初めは良かったけど後はダルダル

気が付けば、将軍の跡目争いが、毎度勃発します。

で、終いには応仁の乱がおこり、日本中が戦乱の世になる訳ですな

此処で、当初は単なるヤンキーのようだった織田信長が京へ登り

調停を守護、将軍の名は残したまま、実質政権を持つようになりますが

ものの数年で、家臣に裏切られちゃうんですが・・・

有名な本能寺の変、色んな噂が有ります

信長を殺したのは誰なのか、はたまた明智光秀を唆したのは誰なのか

学校で学ぶのは、明智光秀が勝手にやった事になってるけど

裏で手を引いたのは、豊臣秀吉や徳川家康の名前が出てきます

まーー歴史的根拠は有るんですが、

自分の暗い部分を隠したがる当時の権力者ですので

その辺は揉み消してますよね。

まーー右往左往あって、豊臣秀吉が天下を統一するんですが

この方、農民の出、征夷大将軍欲しかったんですが

武家じゃないので、公家にこじつけて関白になってます

と言ってもさっさと、官位を義兄弟に上げちゃいますが

つうか、官位上げた義兄弟も処刑しちゃってますが

で、この方が恐れた方が1人いますそれは年齢では6コしたの徳川家康

ちょっと横道にそれて

有名な句

織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

まさに、改革派の方の句です。

豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」

智恵と理屈でなり上がった方の句です

徳川家康「鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス」

当時の権力者が、うまい事年上だったので

我慢してれば、さっさと上の2人がいなくなってくれると思った句?

でも、歴史はその通りになりましたよね

秀吉が無くなった後、親友?だった前田利家と

一度も戦に勝てなかった、豊臣秀頼の後任をお願いしたのに

前田利家が、秀吉が没した後、数年で虹の橋渡っちゃったので

家康君、好き放題できる!と思ってたら

淀の方が、あーだこーだちゃちゃを入れ

もう一つの歴史の噂である、秀頼の父(勿論噂です)の石田光成が

豊臣恩顧の大名たちに懸命に働き掛け、力を持とうとしてたのに

関ヶ原の戦いで、家康に一蹴・・・

力を失った、豊臣家は、家康の無理難題に金もなくなり

挙句に、大坂冬・夏の陣で。終いには滅亡しちゃうんですよね。

ただ、面白いのが、大坂夏の陣で徳川家康が実は死んでしまっていた

という、都市伝説。

その根拠として

①千姫は、夏の陣以来「こいつは家康では無い」と言って面会をしなかった事

②夏の陣以来、小笠原秀政が入れ換わったという説

なぜなら。小笠原家の、石高が夏の陣以来べらぼうに上がった事から

まーーそんな感じで、これまでの時代の中で

一番長い、江戸時代を迎える訳ですね

えーー好き勝手に書いております

つっこみ勘弁してください


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